1947 -
Engineer / Producer
King Jammyキング・ジャーミー
80年代のジャマイカ音楽を牽引
60年代中頃からキング・タビー(King Tubby)の下でエンジニアとして働くようになる。一時期ジャマイカを離れカナダで過ごしたが、75年タビーに呼び戻さるとスタジオで重要な役割を担うようになり、すぐに自身のスタイルを確立していく。その後自身のレーベル、ジャミーズ(Jammys)をスタートさせ、ブラック・ウフル(Black Uhuru)のデビューアルバム’Love Crisis’をプロデュース。85年にはウェイン・スミス(Wayne Smith)の’Under Mi Sleng Teng’でデジタル革命を起こし、PrinceはKingへ昇格した。