Lee ‘Scratch’ Perry – MUZIK CITY【音楽都市】
1936 - 2021
Singer / Producer / Engineer

Lee ‘Scratch’ Perryリー“スクラッチ”ペリー

スキンヘッド・レゲエ〜ダブを牽引してきた奇才

1960年頃からコクソンの下で働き始めると音楽的才能を認められ録音の現場監督やオーディションの試験官も務るまでになったが、正当な評価を得られず、66年にはジョー・ギブス(Joe Gibbs)の下へ。プロデュース業を行う傍、自身でも欲深いコクソンへの警告の歌’I am the Upsetter’をリリースしている。ところがここでも正当な評価は得られず仲違い、68年’People Funny Boy’でギブスを攻撃している。この頃レーベル’Upsetter’を立ち上げ、お抱えバンドはアップセッターズ(Upsetters)と名乗るようになる。そしてオルガン主導のインスト・レゲエを次々制作。’Return of Django’などの大ヒットを生み出し、UKスキンヘッズを熱狂させた。

73年のアルバム’14 Dub Blackboard Jungle‘からダブの時代が幕を開け、完成した自身のスタジオ、ブラック・アーク(Black Ark)から傑作が生み出されていく。’Super Ape‘、マックス・ロメオ(Max Romeo)の’War in a Babylon’、コンゴス(Congos)の’Heart Of The Congos‘などだ。しかし79年ブラック・アーク・スタジオは焼失。スタジオに出入りしていたアーティストや取り巻き連中との諍い、親友ボブ・マーリーが癌に犯されたことなどから疲弊し、自分自身で火を付けたとされている。

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